人としての器。
肩書きで器が形成できる事なし。
男の器がすぐに成り得る事もなし。
順番や時勢で”人の上に立つ”と、この辺りを履き違えてしまう方の多いこと。
先日ちょっと格好良い男に出会った。
『泣いて馬謖を切る』を実行できる方であった。
切られた方は、納得して切られている。ここが重要である。
なぜ切られたのか、なぜ罰せられたのか。
全て筋を通してこそ。
筋をほったらかしにして、正しいことを曖昧にあやふやに、馴れ初めだけで押し通すから後で歪が生じるのである。
何を持って”正しい”か”正しくないか”は時代によっても異なるが、やはり人として男として、何事にも大きな愛情をもって初めて格好良い器を形成するもんだなと、ふと思った今日この頃。
肩書きで器が形成できる事なし。
男の器がすぐに成り得る事もなし。
順番や時勢で”人の上に立つ”と、この辺りを履き違えてしまう方の多いこと。
もがき苦しみながら男を磨くべし。
うわべだけの勘違い野郎には決してなりたくないものである。
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